セレンゲッティ国立公園
「果てしない平原」という意味のセレンゲッティは本当に果てしない。普段水鳥を追いかけているので水平線には馴染みがあったけど、地平線は久しぶりだ。いや、よく考えたら最後に見た記憶がないのだから、久しぶりじゃなくて初めてなのかもしれない。
この広大な草原についてはBBCやNHKの特集で何度か映像を見ていた。アーカイブも持っている。予習もした。が、実際に来てみると当然のことながら持っていたイメージとは微妙に異なる。多分体験を通すことでより具体的なイメージに上書きされたのだ。じゃあ何が具体的になったのか。地理・気候・そしてありきたりで言い回された陳腐な言い方をするならば生命のリアリティだ。そんなものをひっくるめて、自然ということについて改めて考えるいいきっかけになった。ひどい凸凹道を動物を探してジープで揺られている撮影と撮影の間の時間に、それは勝手に頭の中で議題にあがり、勝手に考えを展開し、勝手に自明の結論に到達する。
セレンゲッティではヌーが最も多く、次にシマウマが多いらしい。時期的な理由からか、ケニアとの国境近くの北側のセレンゲッティではヌーの数が半端ない。そして、白骨化したヌーの死骸や、ヌーを食べる猛禽類たちをよく見かけた。エアコンの効いた自宅のテレビの中で見たクチバシに赤い血をつけたハゲタカやハゲコウが、目の前でごく自然にそんな食卓を囲んでいた。セレンゲッティ内のテントでの就寝中ではテント入り口でハイエナがなき、藪の中では小さな子供を連れたイボイノシシが疑わしそうにこちらの様子を伺っていた。
勝手に展開された頭の中の議論では、自然が好きであるという考えは変だなという結論が導かれていた。好きとか嫌いではなくこれが基本的で始まりの足場なのだ。我らがご先祖様はこうした環境から身を守るべく様々な工夫と努力を積み重ね、結果として我々は今のような社会を形成している。でもそれは自然から離れたわけではない。足場である以上、自然は私たちの社会と繋がっていて離れられるようなものではないのだ。熊が北海道で暴れ回り、それを猟銃で仕留めるのも、カバが子供に襲いかかるライオンに突進するのと大して変わらない。
などといった妄想に駆られ、我にかえるとカメラは砂埃で白くなり、髪の毛は埃で白く硬くなり風に煽られてスーパーサイヤ人のように逆立っていた。自然は人をスーパーサイヤ人のような髪型にするのだ。手で撫でても直らないので、そのままスーパーサイヤ人として撮影を継続した。